東北芸術工科大学(略してTUAD)の復興会議のグループが東京で公開会議を行いました。 福興会議@東京〈東北/東京の温度差、どうする?〉 7月24日[日]18:00→21:00 福興会議 http://www.tuad.ac.jp/fukukou/ というわけで、先日参加してみました。 場所は秋葉原の先末広町のアーツ千代田。もともと学校だった所。 会場には活動関係のパネル展示、コーヒーエイドというブースもありました。 懐かしい面々にもあえて早速復興会議が始まりました。 今回は復興会議のメンバーがそれぞれの今の現状と東京にすんでいる人たちに対して 質問をしていくという形式のもでした。 質問はこのようなものでした。(全部覚えてないのでかける分だけ) 1 3.11から今日までの間どのようにすごしてきたか? 2 なぜ東京にいるのか? 3 土地にこだわる生き方をどう思うか? 4 あなたにとって終わりはいつか? 5 震災後かわったもの、かわらなかったもの 6 100年後の東京はどうなっているか 質問は8位ああったような気がします、アーカイブがあったらいいなぁ。 私は最初の質問であたったので発言する事になりました。 ちょっと長くなりそうなので一回保存します。 最初の説明では3.11の山形の状況、地震がおこってから有志の学生たちが集まって復興会議 の活動がスタートした事、大学でメンバーを募って今までに10回以上仙台に復興の支援 (泥かき、写真洗浄等)の活動を行ったこと。 そして最近は仙台まで車で一時間程でいける山形でも被災地の事にたいする意識が薄れ始めている事、 実際はまだまだ手がついていない被災地もおおく存在する事、ボランティアの人手が 圧倒的に足りていない事等の説明を受けました。 それらを聞いた上で、最初は私に質問があたったので答える事になりました。 私は今日まで過ごしてきた中で、地震発生から最初はとても不安であった事、 次第にわかり始めた放射能の影響で子育て、出産に対する事も考えた事、 日が経つにつれ自分の人生について考え、 今は復興支援のために自分にも出来る事を模索しているという事を伝えました。 2番目の質問は、震災後も東京にいるわけを聞いていました。 回答としては、自分の住んでいた土地が荒廃していたため、みたくなかったという意見や、 ここに自分が出来る仕事があるからといった回答がありました。 3番目今回の震災では福島のように帰りたい、住みたいが不可能である状況が余儀なくされている人が存在する、そこに住みたいという未来が奪われ続けている事について。 4番目この震災からの復興という意味での終わりについて何処か、どう考えるか。 終わりは見えない、考えられないという意見、何をもって終わりにするのか言う意見もありました。 5番目震災後に変わったもの、変わらなかったものについて。 日常の喪失、周りの環境の変化などの回答がみられました。 6番目100年後の東京はどうなっていると思うか。 んー、覚えてない所も結構あり不完全なレポートで申し訳ないです。 思い出したら書き加えよう。 正直今回はメンバーの話を聞いてどう思うかを単純にやり取りしたので, 具体的な話は特にありませんでした。 きっかけ作りとしては意味があったと思います。 ただもっと沢山の人と共有する時はお互いに質問できる場所が欲しいと思います。 東京に住んでいる人たちに対して何が出来るのかという事について 話し合うのかなと思っていた節もあったので、議論という所まで情報が共有できず 少し残念でしたが、次回に期待したいと思います。 イマココ しばらくは自分が出来る形での復興支援を考えようと思っています。
by marblefrog
| 2011-07-29 00:48
| ヒビ
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